警察学校の記憶!ざっくばらんに!

防犯・防災

こんにちは、べいるです。

警察官時代の思い出は色々とあります。良いものも沢山ありますし、この頃に戻りたくないなぁと思う時期もあります。

私は、警察学校時代と機動隊の新隊員の頃にはあまり戻りたくないですね!正直、きつかったですし、今耐えれるか自信がないです 笑

今回は、警察学校の記事のリクエストを頂きましたので、20年程前の記憶を呼び戻しながら、順不同、ざっくばらんにその生活について触れていこうと思います。

大卒は半年、高卒は10カ月!

私が警察学校の門を叩いたのは前述のとおり20年程前のことです。

なので、ちょっと令和にそぐわない点もありますが、昔話だと思ってご容赦下さい。

さて、警察学校の在校期間ですが、大卒が6カ月、高卒が10カ月でした。

全寮制で授業が終わっても、学習、体力作り、入浴などの時間が割り当てられていて、常に管理された生活を送っていました。

一番困るのは入浴後に体力作りが回ってくるパターンです!汗をかいたまま、寝なければなりませんでした~最悪です。

授業が終わった17時以降もずっと管理されており、組織に慣れるまでは非常に窮屈に感じながら生活をしていましたね。

廊下であいさつ!前に進めない!

今思えば不思議な光景ですが、廊下で人とすれ違うときは一旦立ち止まって敬礼(15度程会釈)をしなければなりませんでした。

午後8時までは「こんばんは!」と挨拶をしなければならず、うっかり素通りすれば先輩学生がチェックしていて、夜の点呼のときに厳しく注意を受けました。

因みに午後8時以降は無言の会釈です。

学校の廊下は沢山の学生がいましたので、2・3歩進めば立ち止まって敬礼しなければならず、全然前へ進めませんでした!

廊下では「こんにちは」や「こんばんは」の掛け声が午後8時までずっと響いていました。

携帯電話は没収!

学校・寮では携帯電話は預けないといけませんでした。

なので、連絡したいときは食堂に設置された公衆電話に行列をつくって並んでいました!

20年前とは言え、携帯電話はしっかり普及していましたので、携帯没収は20歳前後の若者にとって致命的な措置でしたね!

因みに同部屋の部屋長の奥さんが当時妊娠していて、今週にも産まれるかもしれないといった時期があったのですが、その週はこっそり携帯電話を部屋に持ち込みました。

部屋長1人で持ち込むのは心細いだろうという理由で、私も一緒に持ち込んだ記憶があります。

ですが、携帯電話を持ち込んだことがあっさりバレて、しっかりと絞られました!

警察は油断も隙もありませんね。

初外出

入校後1カ月間、外泊はもとより外出も禁止でした。

1カ月間、限られた空間の中でひたすら訓練を受け続けましたので、これまでの日常を忘れかけましたね~。なので初外出はかなり感動しました!!

同部屋8人で市街地までバスに乗って行ったのですが、バスに乗ること自体に感動、興奮を覚えました 笑

坊主頭のスーツを着た8人がキョロキョロと周囲を見渡しながらバスに乗り込んできたので、他の乗客も異様だったのではないでしょうか。

この日の帰りに回転寿司に行きましたが、あの時食べたお寿司は最高でした!

外泊

外泊をする際は、外泊先を届け出なければならず、週末に実家などへ帰れる学生はいいのですが、遠方から来ている学生は帰れません。

私は秋田から来ていた学生を私の実家に連れ帰っていましたね~。

因みに日曜日は朝から憂鬱でしたね!

昼過ぎには学校に戻らなければいけなかったので、下手をすれば土曜日の夜辺りから気が重たかったです。

月曜日に仕事に行きたくない「サザエさん症候群」ってありますが、一日前倒しで症候群にかかっていました 笑

担任教官

学校では、どの教官も厳しかったように思いますが、現場にでれば教官と言えども警察官同士、卒業後に一緒に仕事をした教官もいましたし、仕事をするときは教官というより同僚という感じで共に励んだ記憶があります。

あと、担任教官には大変お世話になりました。

私が退職するに際し、辞めるか続けるか、ギリギリまで一緒に悩んで頂きました!

現在、前向きに新しい仕事をやれているのも、担任教官のお力添えのおかげですね!

もう退職されていますが、感謝しています。

まとめ

今回は警察学校についてざっくばらんに記述しました。

当時の状況と今の状況は違うと思いますので、警察官を志している方はこの記事を読んでやる気を失わないようにして下さい。

人間、キツカッタことばかり覚えているもので、そればかり記述しましたが、楽しかったことも沢山あったハズです。

令和の警察学校はもっとスマートな訓練をしているのではないでしょうか。

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